『グランド・マスター』感想もどき①

賛否両論の感想がある『グランド・マスター』、私も自分なりに感じたことを書こうと思いつつも、諸事情でなかな書くことができず今日になってしまいました。…というかブログ更新自体一ヶ月以上ぶりになってしまいました
さて感想ですが、感想と言っても私は葉問さんについても、武術についても何も調べていません。あえてそのようにしています。(後日、少し調べる予定)なので、細かい指摘をされても困りますのでよろしくです。

まずこの作品が好きか嫌いか? 好きです。
「何を描きたいのかわからない。」という感想もあるようですね。確かに王家衛作品は「訳がわからない」「理解に苦しむ」という評価をされることも多いですが、今までの作品に比べると『グランド・マスター』は理解可能な作品に仕上がっていると思っています。この映画は武術・カンフーの技を見せる、誰が・どの流派がいちばん強いかを描いている映画ではありませんよね。従って、私は他の葉問を題材にした作品、また武狭・カンフー映画と比べて批評するのは何か違うと思っています。描きたい内容が違うのですから。例え、この作品が嫌いでも、宣伝文句が悪くても、激しい技対決を観たかったにしても映画を鑑賞すれば、これが既存の武術映画とは違う、精神的なもの、生き方などを描いているのだということは一目瞭然。台詞でも「伝えたいのは技ではないこころ。」と言っています。

トニーをはじめツィイー、張震に何年も過酷な武術修行をさせる必要があったのか?という声も聞かれますが、私は必要があったと思います。確かにスタントを使って顔のアップの時だけ俳優の表情を見せればいのかもしれません。しかし、この映画ではそれはあり得ないのです。身体全体から醸し出す何か…過酷な修行をしなければ得られないものが必要だったのだと思っています。それを得たらこそ、トニーの葉問としての佇まい、ツィイーのルオメイとしての表情、張震の一線天の鋭さが生まれたのだと思います。張震は修行を通して人生観に変化があったと語っています。トニーも何かを感じたはず…。
そして、ある武術を長年修行されている人が鑑賞されて「何年も修行しないと、あのスローな動きを美しく撮ることはできない。簡単な練習では武術ではなくダンスに見えてしまうから。」との感想を聞き、修行の必要性を更に感じました。

張震が演じた一線天(カミソリ)について、あれだけの出演なら主役張れる俳優でなくても、他の俳優でもよかったのでは?との声もありますね。でもスピンオフを!の声多数ということは人気俳優 張震 だからということばかりではなく、一線天の印象が少ない出演シーンながら強く残ったからだと思っています。他の俳優が演じたとしたら、あの存在感を表現できたのでしょうか?彼は静かなる存在感を有しています。けして前には出ないけれど、静かに深い存在感。映画鑑賞直後より、少し時間が経った方が彼の存在を感じる。この映画でもそれを感じました。彼の魅力は私より監督が十分承知しているはず、また彼は監督の思想を理解することができる…一線天(カミソリ)の役割を知っている…だから王家衛は彼を離さない。王家衛導演、お願いです…彼が不惑になる前に張震主演の長編を撮って下さい!

…感想もどきにもなってないですね。でも何かしら書いておかないと次に進まないので
近日中に感想もどき②を更新予定です。では…

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この記事へのコメント

多謝。
2013年07月14日 09:54
これの感想を書くのは、本当に難儀しますね。
一回目と二回目、全然印象が違いました。
見る毎に、違うところに目が行き、
違ったストーリーに見えてきます。
それが王家偉だと思うのです。
後30回ぐらい見たら、何かかけるかも・・・
張震迷
2013年07月14日 20:31
多謝。さん

王家衛作品は鑑賞後しばらく経ってもいろいろと考えを巡らせることができる点が私にとっては魅力的なのですが、その分確かに感想は書き難いです。
現時点の感想ということで感想②を書きたいと思ってはいるのですが、どうなることか

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